諸君。まずは大阪府民であれば、見覚えのあるこのポスターを見たまえ。
横山ノック知事退陣後の府知事選挙に立候補した羽柴誠三秀吉氏であるが
いきなり兜を被ったその写真にウケた諸君も多かっただろう。
結局、日本史上初の女性知事を大阪に誕生させる結果となった。
大阪レジスタンスの調査によれば、彼は1999の東京都知事選挙にも出馬していたという情報が入った。それがこれである。
なお、彼の職業はワイドショーでも取り上げられた青森県にある豪華ホテルオーナーの大富豪で、先だってはそのホテルが全焼したという情報が入っている。
http://www.odagawa.co.jp/ には彼の居城であったが、いまや焼け落ちた小田川城の雄姿をみることができる。
青森県に出張し、金鉱堀りにやってきた豊臣秀吉が、土地の有力者の娘に産ませた子供の17代目の子孫にあたるのがこの三上清三氏であり、代々羽柴姓と三上姓を名乗っていたということらしい。
しかし、なんで誠三が秀吉になるのか、大阪はもとより東京都知事選挙にでたのか、相変わらず謎である。
そもそも子宝に恵まれなかった豊臣秀吉が、なぜ子供ができたにもかかわらず、その子供を津軽においたままなのか、謎は深まるばかりであるが、本人が「平成の太閤秀吉」と自称しているのは間違いない。おまけにご丁寧に死んでからの日本一のお墓まで建立している。
そして、その彼が
するということであった。ホテル全焼にも、都知事選挙・府知事選挙落選にもめげないど根性は立派である。
新聞報道までされたこの情報を、大阪以外の人々にもお知らせしたい。
なお、日本国の公職選挙法に抵触するため、今回の情報はこの辺で。